こんにちは。ダントータイルのタイル研究室です。
今回は、当社発祥の地で現在も生産工場がある兵庫県の離島、淡路島の焼き物についてお話しします。
淡路島には建築家・安藤忠雄氏グランドデザインによる施設群の「淡路夢舞台」や、日本最古の歴史的建造物である「津名城跡」など、見どころがたくさんあります。
淡路島観光ガイドのサイトでは、淡路島の魅力やおすすめスポットなどを紹介しています。
そんな淡路島ですが、瓦、陶器、タイルといった様々な焼き物の歴史と技術を持つ素晴らしい島です。
それでは、淡路島の焼き物の歴史と系譜を見ていきましょう。
淡路瓦の歴史と特徴
淡路瓦は日本三大瓦の一つで、400年以上の歴史があります。
始まりは安土桃山時代〜江戸時代にかけてです。
池田輝政の三男・忠雄が由良成山城を築いた際に、播州瓦の名工・清水理兵衛に瓦を焼かせたことが淡路瓦の起源だと言われています。
その後、清水理兵衛の弟子たちが松帆・尾崎・阿万・釜口などで瓦の製造を始めました。
そして法華宗の援助で南あわじ市津井地区に伝わりました。
旧西淡地区は原料になる良質な粘土に恵まれた土地であったため、この土地に瓦産業が根付いていきます。
淡路瓦に使われる淡路の粘土はとてもきめ細かく、優れた可塑性があります。
そのため精度の高い瓦に仕上がります。
また色冴えや色持ちが大変良く美しい輝きを放つので、美観性にも定評があります。
淡路瓦の種類には[いぶし瓦]、[陶器瓦]、[窯変瓦]などがあります。
40年前には100社以上あったといわれる製造業者ですが、現在淡路島内で淡路瓦を製造しているのは南あわじ市にある60数社です。
ガルバリウム鋼板をはじめとする金属屋根材の台頭により、瓦はシェアを徐々に落としています。
しかし耐震性や耐火性、耐久性など、他の屋根材よりも圧倒的に優れている瓦のメリットを打ち出し、伝統を重んじながらも現代仕様へとアップデートしています。
原料が土であることや、製造方法もタイルと近く親和性も高いため、当社でもコラボさせていただいています。
淡路瓦の製造業者
淡路島の陶器「珉平焼」とは?
「珉平焼」(みんぺいやき)は、江戸後期の文政年間(1818~30)に、淡路島の南端、伊賀野村(現在の南あわじ市)で、賀集珉平(かしゅう みんぺい)によって始められた焼き物です。
淡路島の良質な白土からつくられた「珉平焼」は、鉛を原料とした釉薬から生まれる美しい発色と華麗な作品群で、当時の人々を魅了しました。その地名から「淡路焼」などとも呼ばれ、広く名声を博しました。
賀集珉平は、京焼の陶工・尾形周平を招いて色絵の技術とデザインを導入し、古今東西の様々な技法を写していきました。
天保10年(1839)には、当時の阿波藩の御用を務め、「御用御陶師」を称することを許され藩主・蜂須賀公のお手窯として、主に花器、茶器などを作りました。
大坂に販売所を構え全国に販路を拡大するなど、「珉平焼」は大きく発展しました。
「珉平焼」の特徴は、幅広いバリエーションにあります。
江戸時代後期の日本で、これほど多くの種類を焼いていた窯は恐らくなかったのではないかと言われています。
そして、もうひとつはその鮮やかな色です。
カラフルでとてもポップな印象ですが、明るい黄色などは鉛特有の発色となっています。
現在の法律では、食品用陶器に鉛含有の釉薬の使用は禁じられていますので、この目を惹く発色の器は、今ではもう出せない貴重な色となっています。
「珉平焼」は、明治4(1871)年に珉平が没した後、長男・三平が継いだものの振るわず衰退し、残念ながら途絶えてしまいました。
洲本市立淡路文化史料館で開催されている「淡路島のやきものたちー島の風土が生んだやきものの歴史ー 」において、当社が昔製造していた茶器が展示されています。
この展示会は2023年12月17日まで開催されていますので、興味のある方はぜひお越しください。
館蔵品展Ⅰ 淡路島のやきものたち-島の風土が生んだやきものの歴史-/淡路文化史料館
珉平焼を現代風にアレンジし、「受け継ぐ器」をコンセプトに日用食器をつくられている、awabi ware(あわびウェア)さん。
珉平焼がルーツのダントータイル
「珉平焼」を継承して、欅田善九郎ほかが明治18(1885) 年8月に「淡陶社」を設立しました。
「淡陶社」はダントータイルの前身となる会社です。
「珉平焼」の技術はタイル製造に生かされることになり、明治34 (1901)年3月には本格的にタイル生産を開始しました。
それが「和製ビクトリアンタイル/マジョリカタイル」です。
マジョリカタイルについてはこちら→マジョリカタイル/福ラボ
マジョリカタイルは、成型して乾燥させた後、釉薬をかけて焼成するタイルです。
釉薬の色や模様によって様々な表情を見せます。
当時の国産内装タイルの製造方法は湿式成形が主でしたが、この製法では寸法や形状の正確さでレベルが高い輸入タイルと同質のものができませんでした。
そこで乾式成形の研究が行われ、明治41(1908)年に村瀬二郎麿が名古屋(不二見タイル)で、能勢敬三が淡路島(淡陶)で国産の乾式成形タイルを完成させました。
これを皮切りにタイルの高品質化・量産化への道が広がりました。
明治も末期になると、白無地タイルや外装タイルの需要も高まり本格的な工業化へ進みました。
戦時中、タイルには「ぜいたく品≒非国策品」のレッテルが貼られてしまいましたが、淡陶は技術保全会社の指定を受けタイル製造を続けることができました。
終戦後、復興から高度経済成長期にかけて建築ラッシュとなり、空前のタイル需要増加となりました。
国内需要が高まることで生産体制も強化され、内装タイル・モザイクタイルの輸出につながっていきました。
しかしその後、発展途上国の低コストタイルや、伝統的なデザイン技術を持つイタリア製デザインタイルが広まりました。
今や国内のタイル流通量は国産タイルよりも輸入タイルの方が多い状況となっています。
そんな中、当社は国産タイル発祥の地ともいえる淡路島で、今日でもタイルを生産しています。
2025年には創業140年を迎えますが、これからも専業メーカーとして歴史から培った新しいモノ・コトを生み出し続ける努力を続けていきます。
まとめ
今回は淡路島の焼き物についてご紹介しました。 瓦、陶器、タイルといつもより幅広くお伝えしましたが、そこに携わってきた人々の知恵と努力と情熱が、現在に至るまで脈々と受け継がれていることをあらためて感じました。私たちもタイル文化を次の世代に受け継いでいきたいと思います。